旅行記〜栃木&東京③〜

改札前には、観光を終えたであろう外国人とお年寄りの大群。

今やこの国の観光市場を支えているのは自国のリタイアメントと他国のベイケーション。

 

既に時刻は15時30分。

すぐさま東照宮に向かおうとしたが、雪の降るバス停で参拝時間が16時30分までと知る。

移動に30分しかかからなかったとしても、ほんの30分程しか滞在できない。

「電車の中で調べれば分かったことなのに」と自責の念がふつふつグラグラ。

ヤダヤダ。こんなとこまで来て、自分の至らなさと向き合いたくないYAI

 

 

「日光 グルメ」検索。

 

するとすぐ近くのカフェでローストビーフ丼が食べられるとの情報。

そりゃレペゼン日光がローストビーフじゃないことは察してますよ、私だって。

でも肉だし?丼だし?食べ盛りのアラサー男子だし?行くっきゃないYAI

 

入店し、ストーブの近くの席に座る。

いつの間にか冷え切っていた手足の指がじんわりあったまる。痒い。

レジではオーナーと思しき女性と、雇われ店長と思しき男性が、ローリエの発注をめぐって口論。

隣の座っている中年アベックは、会社の若人たちをディスりながら、互いの距離感を模索。

 

1人でいたらケンカすることもないし、他者との境界線を意識し過ぎて気疲れすることもない。

でも少なくとも今の自分は、目の前の人たちの営みを羨ましく思っていて、なんだかなという感じ。

 

ローストビーフ丼のお味はまぁまぁ。

でも本来の目的をちょびっとうやむやに出来たので良しとする。

鬼怒川温泉駅へ。

旅行記〜栃木&東京②〜

「死ぬまでに一度は見ておかないと」

この言葉に何度焦燥を掻き立てられたか分からない。
自身の感性を置き去りにした何とも貧乏くさい衝動。
でも多くの人たちの感動に裏打ちされているのだから、良く分からない自分のこだわりなんかよりよっぽど信用できる。

日光についての前知識はほぼない。
脳内検索エンジン(bing)(誰がbingや)に日光を入力しても、検索関連ワードは「水戸黄門」「猿」「お年寄り」「修学旅行 つまらん」ぐらいしか浮かばない。ごめんね、義務業育。
でも東照宮が大がかりな修繕を終えたことだけは知っていた。ありがとう、俺たちのブラタモリ
とにかく江戸幕府の栄華が栃木の山奥にぶちこまれているのだ。

昨日の大雪の影響で鉄道のダイヤは乱世に突入していた。
乗り継ぎはスムーズに行えたが、そこから待てど暮らせど列車が動かない。ホットレモンをこぼしてしまい手がべとべとする。前の席の中国人旅行客の声がやたらにでかい。車掌さんのアナウンスに気持ちがこもっていない。こめる必要なんてない。ダイヤの乱れは心の乱れ。いらいら。

こんな日に思いつきで日光に行こうとしている自分が全部悪いのに。

この時点で時計の針はてっぺんを指していた。
今すぐ列車が動いても駅に到着するのは15時前になってしまう。
まずは宿を確保しなくてはならない。「日光 宿」検索。
Googleはいつだって生活に寄り添ってくれる。
程なくして日光から電車で15分程の鬼怒川温泉街の宿のブッキングに成功、しかも福利厚生のお力でかなりお手頃価格。

 

一気に頭の血流が良くなるのが分かった。

自分の機嫌は自分で直すのだ。

旅行記 ~栃木&東京①~

空港には定刻に到着したが、機内で待ちぼうけをくらった。
昨晩の大雪で出航出来なかった航空機たちが残っているため、ボーディング・ブリッジ(搭乗橋)を取り付けるスペースの順番待ちということらしい。
どでかい航空機が蟻の巣のような滑走路内にうじゃうじゃいる。想像するとちょっと可笑しい。
「案内まで1時間程かかります」という機長のアナウンスが流れると、どよめきが起きたが、隣の席の女性はさっとポーチを取り出し、黒く長くアイラインを描き始めた。
こういう時に、ばちっと思考を切り替えられる人は潔くてかっこいい。

今回の旅行は2泊3日。3日目の相撲観戦以外、予定は入れていない。
旅行は計画するのが楽しい、ということはよく知っている。
卒業旅行で行ったNY。友人4人と計画を立てていた時の高揚感はもはや永遠の一歩手前だった。
でも1人旅をはじめて、回数を重ねる度に計画することはなくなっていった。
旅慣れたと言えば格好がつくが、単純に以前とは旅行の目的が変わってきているだけなのだと思う。

「日光に行こう」
飛行機の中に閉じ込められて1時間程たち、程よく溜まったフラストレーションに背中を押され、鉄道に向かった。

普通のこと。

家のドアの鍵をかけない家に育った。

すこぶる治安が良い地域ではない。(今年は町内で2人殺されている)
ご近所さん、みんな顔見知りというわけでもない。(UR都市機構の大型団地)
母は「あんたが鍵を持っていくのを忘れて閉め出されたことがあったから、かけなくなったのよ」と言う。
小学生の頃、家に入ることが出来ず、よく友人の家に転がり込んでいたので、確かにきっかけはそうかもしれない。
でもアンロック(?)の文化が根付いていったのは、家族の全員がだらしないからだ。
家を出る際に鍵をかける一手間、家に入る際に鍵をあける一手間をしなくても良いラクチンさに味をしめたのだ。否定するだろうが絶対そうだ。

しかし、そんな実家に先日帰った際、あろうことか鍵がかけられていた。
開いていると思っているドアが閉まっていた時の拒絶感。
わなわなしながらチャイムを押す。お前、こんな声で鳴くんか…

母曰く、亡くなった祖母の遺品整理をしていた際に、如何に我が家のセキュリティー意識が低いのか目の当たりにしてしまったらしい。
そして涼しい顔でこう宣った。

「それにね、あんた。家に鍵をかけるのは普通やからね」

ガーン。晴天の霹靂。
同時に湧いてくる「こんな私に誰がした」


人生を左右するようなことでは全くないが、ぼんやりと「普通」について考えるきっかけになった。

日々の生活の中で子どもたちに対して、「それが普通やから」「当たり前やから」と口にしてしまうことがある。

「なんでトレーナーの下にシャツ着ないといけないの?」→『体が冷えるし、これからの季節は乾燥するから。それに直接トレーナーに汗がついちゃうと汚れてしまうのが早くなるよ』→「いいやん、毎日洗濯してるし。それに寒くないし」→『つべこべ言わずにシャツ着なさい。当たり前のことや』

『左手でお茶碗持ちなさいよ』→「いいやん、こぼさんし」→『こぼしてからじゃ遅いし、お茶碗持ちあげないと姿勢も悪くなる。周りの人から行儀悪いと思われるよ』→「別にどう思われてもいいもん」→『やかましい、お茶碗持ちなさい。普通のことや』

頭ごなしに否定することはしないけど、基本的な生活習慣が欠如している子たちが多いので、敢えて「普通」や「当たり前」ということを強調する。(単純にイラッとして言っちゃうこともなきにしもしも…石黒賢…)
普通を形作るのは、やはり生まれ育った環境に依るものが大きい。
自我が芽生えて、損得勘定やあるいは自分の信念みたいなものが出来た時、世間一般の「普通」とはズレることはあるだろうけど、その時まではきちんと理由も添えて「当たり前のことを当たり前のこととして」伝えていきたいなと思う。
社会に出ても恥ずかしくないように、きちんと自立できるように。

…というのは半分建前で、少々へそ曲がりな本音としては、

すべきこと、普通にやるのって何だか気持ちいい。
普通のこと、普通にこなせる人って何だか凄い。
普通って、実は「特別」なのかもれない。

翻って私。
最近近所に空き巣被害が相次いでいることを知り、家に鍵をかける習慣を身につけようと頑張っているところです。(今でも4回に1回はめんどくさいが勝っちゃうてへぺろ

植物を枯らさずに育てられるのは普通。
キッチンをいつでもピカピカ除菌しているのは普通。
ベランダにゴミや物をためないのは普通。

魅惑のマジカルワード「普通」の力をかりて、simple&cleanな生活を手に入れてやろうと野望をメラメラさせているところなのです。
この強欲さが既にsimple&cleanとはかけ離れている気がするけども。

祖母のこと。

今年、祖母が他界した。

背が高く、猫が好きな人だった。
42歳にして祖母は「おばあちゃん」となったが、孫たちには「ママ」と呼ばせた。
ママの小指の爪はいつも伸びていた。

ちょうど今から1年前、2人で墓参りに行った。
急に「墓参りに行きたい」と思いたち、有休の届け出をして、2日後には箕面の山中にいた。
母から少し体調を崩していると聞いていたが、顔色はさほど悪くはなく、「あんたに会ったら元気になったわ」と孫冥利に尽きる一言を宣うた。

秋晴れが気持ち良い平日の昼下がり、たくさん話をした。

妾の子どもとして生まれたこと。
祖父と出会ってからの親戚付き合いの気苦労。
子どもたちの子育てをやり直したいと思っていること。
不思議と話の中心は「家族」だった。
墓守についても「お墓なんて残された方が大変なだけやわ。私が死んでも適当にしてくれたら良いからね。時々思い出してくれたらそれで良いわ」と話した。

それからわずか一週間後、末期癌であることが分かり、程なくして天国へ旅立った。
この時の墓参りが最後のお出かけとなってしまった。

ママのことは今でもよく思い出す。
ママの顔を思い浮かべる時、親愛の気持ちや、感謝の気持ちだけではなくて、反省や心残りなど、苦い後味が心に広がる。
悲しいくらいに鈍いので、苦い後味の成分が何なのかよく分からない。
今感じている苦みは、時が経つにつれて変化してきたものであることは何となくわかる。

次の休みに、墓参りに行こうと思う。
まだそこに祖母はいないけど(千の風になったのではなく、まだお骨は実家にある)、祖母が守ってきた人たちがいるから。

書くこと。

自分にとって書くことは、創造ではなくて模倣。暴露ではなく隠蔽。


よく分からない感情を、どこかで見たことのある枠にはめてラベリングをする。
多くの場合、飾りつけをして見栄えを良くする。(滑稽でも自分が納得できればOK)
そうすると良くも悪くも中身が何なのか分からなくなる。
体裁を整えるふりをして、自分の気持ちをうやむやにしたいだけなのかもしれない。

同性愛者に生まれたことは関係しているだろうか。
突き詰めることは好きじゃない。
突き詰めた先に何があるのかを知ることが怖いんじゃなくて、突き詰める資質があるのか、それだけの覚悟あるのか、自分に問いかけることが怖い。

でも、あっという間にもうこんな年齢だし、親も年だし、自分しかいないし。
自分の言葉で書くことに挑戦してみようと思います。
突き詰めてみたところ、結局模倣しかできない人生であることを自覚してしまうのかもしれないけど、それはそれで良いような気もする。

Twitterと同じように独りよがりなものになる予感しかしないけど、やってみよう。